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英語と私。~出会いで人生は変わる。~

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こんにちは。ウェブ解析士の佐藤佳です。
みなさんにとって英語ってどんな存在ですか?

私はというと、学生時代は天敵のような存在で(笑)、
今では私を豊かにしてくれる存在に変わりつつあります。

そこで、一度自分の英語史を振り返ってみることにしました。
とっても長いお話なのですが、もしよろしければお付き合いください。

↓ 私の英語史ハイライト

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Contents


最初の出会いはTHE GOONIES

みなさんは、いつ・どのように「英語」と出会いましたか?

子ども向けの英会話教室だったり、 中学の授業だったり、 映画やネットだったり。
きっとさまざまだと思います。覚えていない、という人もいるでしょう。

私が初めて英語を認知したのは、小学校の低学年ごろ。
金曜ロードショーで見た「THE GOONIES(ザ・グーニーズ)」というアメリカ映画です。

これは、伝説の海賊が隠した財宝を探す少年たちの冒険物語なのですが、
いたく気に入って、100回以上は見たと思います。
(あまりのエンドレス再生に、気が狂いそうだったと今でも家族から言われます。笑)

舞台は、オレゴン州アストリア市。
いつか行ってみたいなぁと、あるアカウント名はここの名前を採用して、
かれこれ15年くらい、ログインするたびに打ち込んでいます。

このころは全く英語に抵抗は感じていませんでした。
しかし、中学でそれが一変する出来事が起こったのです。


英語ネガティブ時代

中学時代:英語さえなければ・・・

中学に入って英語の授業がスタート。
英語の先生が足りなかったようで、私のクラスだけ臨時の先生になりました。

英語を楽しむ方針で、ゲームが中心。
単語をノートに書かされる宿題もなく、文法をガミガミ言われることもなく、
授業はそこそこ楽しかったですし、何より楽でした。

しかし、中2になって先生が変わり、状況が一変。
基礎力がないので、授業がまったく分からなくなったんです。


分からないから苦手・嫌い、と思う時点で低レベルではありますが・・・。

国語・社会・理科などは満点近く取っていたこともあり、
英語さえなければ・・・と何度も思いましたし、とにかく英語に対してネガティブでした。


高校時代:恩師との出会いと、初海外での自信喪失

壊滅的な英語力を母親が心配して、友人の母に家庭教師を依頼しました。
先生はいつも笑顔で優しくて、本気で女神様なんじゃないかと思うような人で、
「この人を悲しませたくない」というのが私の勉強理由になっていきました。

おかげ様で人並みにはなれたのですが、自信を喪失する出来事が起きます。

それは高校の修学旅行。行先は韓国で、私にとって初めての海外でした。
ことごとく英語が通じなくて、無駄にへこんでしまった私はこう思いました。

「やっぱり私は英語ができないんだ。」
「私の発音ってきっとひどいんだ。」

今思えば、このネガティブな思い込みと、間違った仮説により、
この先15年を無駄にしたなー
と思います(笑)。


大学時代:テロは悪か否か?恐怖の英語討論

とはいえ、そんな自分を少しでも変えたいと思っていたので、
大学時代は積極的に英語科目を取ったのですが、英語討論が鬼門でした。

今でも忘れないテーマは、「テロは悪か否か」。
私は社会学系だったこともあって、テーマがそういう感じだったんですよね。

YESと言っても、NOと言っても、必ず「Why?」と聞かれるのですが、
そもそもの自分の意見が定まってなくて、論理性もなく、英語力もないので、
最悪なディベートにしかならなかったんですよね。

今思えばテーマについて自分が知らなさすぎるのが原因ですし、
YES班とNO班に分かれるのは、真理に迫るための一つの手段だと思えばよかったのですが、
当時の自分は未熟で、英語ムリ!!!となっていました。


海外旅行で少しずつ変わっていった私の価値観

対して努力もしていない上に、努力する内容も間違っていた私は、
英語を身に付けられるはずもなく、ただ空回りしていました。

そんな中で癒されたのは、大学時代に行ったタイやグアム、
社会人になってから行ったカナダ、フランス、ベルギーなどの海外旅行でした。

一度、教科書の世界を手放そう・・・。

単語力も英語力もまったく磨かなくなりましたが、
純粋に「世界のいろんな国を楽しむ」ことに注力したことで、
ネガティブな気持ちは少し薄れ、自分の価値観が変わっていたように思います。


東京オリンピックを目指して


社長が海外留学!?再び英語学習の動機をもらう

そんな時、オリンピックの開催が東京に決まりました。
すると村瀬さん(勤め先の社長)がこんなことを言ったのです。

「オリンピックをみんなで見に行こう。
その時に海外の人がたくさん来るから、手助けできるように英語を学ぼう。
俺、ちょっと留学行ってくるわ!!」

この言葉を聞いて、ついに英語と戦う日がやってきたと思いました(笑)。

そこで英単語帳と文法書を買って1年間は毎日英語を勉強していましたが、
英語学習の優先順位を下げる理由が、次々と押し寄せてきたんです。

例えば、新会社設立、社名変更、テナントビルの上階が火災になってオフィスを失う等々。
ただ、オリンピックまで英語を勉強する、ということを忘れた日はありませんでした。


インドネシアの学生、アフダルが教えてくれたもの

ドタバタ劇がひと段落したころ、
村瀬さんが海外インターンシップ生としてアフダル君を招き入れました。

アフダルはいつも笑顔で人柄も良くて、
新しいコミュニティに溶け込もうと、カタコトの日本語で一生懸命がんばっていました。

そんな彼から「広報やウェブマーケティングを教えてください!」と言われて、
私はその熱意に答えるべく、夜なべをして英語の授業を作っていたのですが・・・。

その時にアフダルから純粋な疑問をぶつけられます。
「佳さんはチャットだとそこそこ流暢なのに、なんで話せないの?」

そうか、私の英語学習って、スピーキングの要素が全くなかったわ(爆)。
この事実に気づいて心底トホホと思いました。


「ウェブ解析士よ、世界を目指せ!」窪田望さんの全力エール

ちょうど同時期に、ウェブ解析士が集う年1回のイベントが開催されました。
そこで、登壇者のひとりである窪田望さんがこんなことを叫んだんです。

「ウェブ解析士よ、世界を目指せ!!」

そう言われて、初めて気がづいたことがあります。
それは、「国内で生きる(仕事をする)ことしか考えていなかった自分」です。

そんな私たちに、窪田さんは大会場で応援歌を熱唱。
最強のエールをもらった気がして、私の心に小さな灯が生まれました。

「仕事に英語を取り入れたら、世界が変わるのではないか。何かを・・・やってみよう!」

そう思ったら、隣にたまたま海外の人が座っていることが目に入ってきました。
(思い切って名刺交換してみようかな・・・でも何て声をかければ・・・)


初めて出会った海外ビジネスマン、Garyさん

私のソワソワを見かねたのか、お隣さんが名刺交換を促してくれました。
その人は、シンガポールのビジネスマン、Garyさん。
私はテンパって、名前と、社名と、「Camping!」の3単語をなんとか伝えました(爆)。

家に帰宅してから、「あぁ~死ぬほど恥ずかしい。メールでお礼とお詫びをしようかな。
でも私から連絡が来ても、ぶっちゃけ英語できない迷惑な日本人だよな・・・」

とまたウジウジしていたら、Garyさんからメールの着信が。
「私は日本語が話せないので申し訳ありません。うまく翻訳されていますように」と、
英語と日本語(Google翻訳)の2か国語でメールが届いた
んです。泣

あぁ、ホントに私ってバカだな!
と思って、アフダルに頼んで添削してもらい、無事にメールを送ることができました。
(今でもたまにメールやSNSで交流しています)


ビジネスに英語を取り入れる

問題は人間力にあった。ポルトガルでの最大の気づき。

なんとか仕事に英語の要素を・・・と思っていると、
ウェブ解析士協会の江尻さんからこんなメッセージが入りました。
「佐藤さん、ポルトガルのWebsummitに行きませんか~?」

こんな機会は二度とないかもと思い、「はい」を選択することにしました。
この選択が、私を大きく変えることになります。

ポルトガルでの最大の気づきは、本質的な課題は人間力だったということ。

人と関わろうとする気持ちがあれば、通じ合える。
そこから自分の英語に対する姿勢はもちろん、生き方が根本から変わったように思います。

何よりも、「笑顔」で「Hello!(挨拶)」を言ってから、「大きめの声」で話しかけると、
ほとんど通じるではありませんか~!!

私の英語が通じないのは発音がダメだから、というのが過去の仮説でしたが、
挨拶しないで(注意をひかず)、訛った英語を小声で言っていたからだったと気づきました。
(そんなの誰も聞き取れないよね)


英語?中国語?まったく分からないシングリッシュ

ポルトガルに行ったノリで、そのままシンガポールに行くことにした私。
しかし、 到着直後からかなりテンパっていました。
なぜなら、シングリッシュ(シンガポール英語)がほとんど聞きとれなかったからです。

それこそ、
「Fooさん、さっきの話ぜんぜん分からなかったです」
「サトさん、それはそうですよ。さっきのは中国語です」
と言われるほど大混乱(笑)。

ヨーロッパではノーストレスだったのに・・・。
ただ、それで自分がだめだと思うほど、私も若くはありませんでした。

世の中にはいろんな英語があるんだなぁ、他のアジアの国はどうなんだろう?
と思って、ご縁のできたフィリピンのセブで確かめることにしました。


セブの入国審査で気づいた、私が恐れていたものの正体

セブの空港へ到着すると、入国審査官からこんなことを聞かれました。
「旅行は一人ですか?友人は一緒ですか?」

空港で知人と合流する予定でしたが、今は一人ですし、
それを説明できる英語スキルはありません。私が言えたとっさの一言は、

「I have no friends.(私は友達がいません)」
「Oh…(哀れそうな目)」

なんと、審査官が痛々しい表情で私を見ています。
友達いるから!!けっこう幸せに生きてますから!!!笑

この時「私が英語をなかなか言えないのは、誤解をされたくなかったから」だと分かりました。
でも、英語力が低いんだから無理ですよね。そして割り切りました。
誤解と共に生きていくことを・・・。爆

(ちなみにフィリピンの英語は比較的自分にとって聞きやすかったです)


全ての母国語は美しい。インドのVikasさんからの教え。

このころ、再び海外インターン生を受け入れようと、面接を開始しました。

面接官のひとりは私なのですが、こんなにも英語ができない人が面接官なんて、
応募者の方に申し訳ないなと思って、そんな気持ちを伝えました。

すると、「あなたが一生懸命やっているのは伝わっているし、
日本で働こうと思う以上、こういったことは承知の上で応募しています。

それに、英語ができることが、個人の成功におけるすべてではないと、私は知っています。
なぜなら全ての母国語が美しいから
当たり前のように、日本で日本語が話せていることは、とても貴重なことなんですよ。」

正直、ハッとしました。
英語圏で生まれれば、英語で苦労しなかったのに。 なんて思っていた自分が恥ずかしくなり、
全ての言葉を愛そうと思ったら、フラットな心で英語学習が臨めるようになりました。


ラスベガスとポートランドの一人旅がくれたわずかな自信

2019年、またまた江尻さんからきっかけをいただき、
ラスベガスのSEOカンファレンスPubconに行くことを決めました。

しかし、そのためには一人で飛行機に乗り、間違いなく乗換をして、
空港からホテルへ行き、チェックインをする必要があります。

慣れている人にはなんてことないと思うのですが、私にとっては大冒険です。
しかし、ちょっとずつ進歩しているから大丈夫なはず・・・!!

結果、ひとりでできるもん、をなんとか達成して、
次の目的地であるポートランドにも辿り着くことができ、
お米1粒くらいですが、自信を手に入れることができました。

「とりあえず、生きてはいけそう。」
そんな手ごたえを得られたのは大きかったと思います。
(いろいろ助けてくださった関係者みなさま、ありがとうございました)


もう一度スタートラインに立とう

出会いで人生は変わる。

みなさん、いかがでしたか?
この人、無駄に迷走してるなーと思ったと思います。ほんとそうなんですよ!

ただ、そのたびにいろんな人から「こっちだぞー」と誘導してもらって、
ヨロヨロしながらも前進しています。

オンライン英会話もめちゃくちゃ抵抗があってこれまでできなかったのですが、
江尻さんから「とにかく予約をすればいいんですよ」とアドバイスされ、
その通りしたらなんだかんだ14日間切れずに続いています。

また、シンガポールで出会った岡田さんが、英語の著書を発行されたのですが、
まさしく知りたい内容でほんとにありがたいなと思いますし、
この間は米田さんが面白い英語アプリを教えてくれました。


自分は出会いに恵まれているし、出会いで人生変わってきたなぁと思います。


それから英語史では書いていませんが、
Mitsugiさん、 川口さん、Fooさんと出会えたことで、
ロールモデルを見つけられたのも大きかったです。
(みんなバイリンガルで優秀なので、こっそりあこがれています)


英語学習に挑戦していれば絶対にまたコケる時がやってくるので、
その日のために自分の英語史をまとめました。

コケたらこれを見てがんばろう!!


今回はここまでです。
また次回のブログでお会いしましょう。

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この記事を書いた人

Kei Sato
面白いと思ったモノ・コトを解析して、広く報せることに喜びと生きがいを感じる人です。ブログではウェブ解析のことや、日々の気づきを綴っています。現在は海外赴任でオレゴン州ポートランド在住。Global Business Strategic マネージャー。

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